愛犬コッコちゃんの骨盤調整

もう随分前の事です。
私が治療を覚え始めた20代の頃です。
最近は、治療家と言うのは学校へ入って、どこか大きな治療院に就職して、技術と経験を身につけて行く人が多いと思いますが、私の頃は今の様に「何でも学校」時代ではなくて、自力で技術と経験を積んで、治療師になる人が殆どでした。
そんな、治療を学び始めて間がない人にとって、ひとつのハードルは、お金を払って貰えるという事です。
どう云う事かと言うと、初めは家族や親しい友達なんかを捕まえて、治療をやらせてもらう訳で、初めはこちらが頼んでやらせてもらう。治療の後、多少痛くなってもごめんねと言ってまたやらせてもらう。
あまり、下手だと、「もういやだ」と断られてしまう。
もうちょっとすると、段々上手に成って来て、喜ばれる様になる。
が、しかし、「金を払うからやってくれ」となるには見えない壁があり、これを超えないと専門家への道は進んで行けないのであります。
私の場合は、タイトルにある「コッコちゃん」の飼い主である芳倉さんが、私にこの壁を越えさせてくれました。
言わば、私と言う治療家を誕生させてくれた恩人であります。
「大久保さんに治療をしてもらうと、とても後が楽になるの。料金を払いますから毎週来てくれませんか?」と声をかけて下さって、それから隣の奥さま、駅前の奥さま、その旦那さまと自然発生的に治療師の道を歩み始めたのでした。
芳倉さんはブラジルで長年暮らし、ご主人が亡くなったのを機に日本へ帰って来られて、親戚と成城のお屋敷で暮らしていました。
そんな芳倉さんの大切なお友達と言うか、子供の様にかわいがっていたのが「コッコちゃん」であります。
コッコと言うのは、ブラジルで「ウンチ」と言う意味なのよ、と、はにかんで笑ってられました。
コッコちゃんはマルチーズかと思っていたら、プードルの毛をそのまま伸ばしているのだそうです。
私が行くといつも、真っ先に玄関に駆け出して来るか、芳倉さんの腕の中に抱かれて出て来るかでした。
ある日、治療をしていると傍にうずくまった様に元気がなく、どうしたのかと芳倉さんに尋ねると、何日か前にベッドから落ちて、以来元気がなくてぐったりしている、しかもベッドに飛び乗れなくなっちゃったそうです。
「ちょっと見てみましょうか?」私が言うと、芳倉さんがコッコちゃんを抱いて来て私の前に置きました。
早速、仙腸関節の狂いを見ますと、人間と同じように右の骨盤が上方(肩方向)に変位してます。
うつ伏せに、腹ばいにして、私の左手の小指丘(手のひらの小指側のふくらみ)をコッコちゃんの右腸骨稜にあてがい、素早く無言の気合いと共に骨盤の調整をしました。
コッコちゃんは驚いて逃げて行きましたので、その時はそれきりになりました。
さて次の週、治療に行きますと芳倉さんが玄関にコッコちゃんを抱っこして、嬉しそうに出て来ました。
そうです。良くなったのです。
あれ以来、いつもの元気を取り戻し、またベッドへ飛び乗れる様になったそうで、大変大変、感謝されました。
そんな芳倉さんは以前手術した癌が再発して、私が農業の方へ行ったすぐ後に帰らぬ人となってしまいました。
現在の私を有らしめて下さった、沢山の人達の一人であります。
沢山の方々のお陰で現在の私が有ります。若かれし頃の私と、治療師としての恩人、芳倉さんとの楽しい思い出であります。
それにしても犬も骨盤が“要(かなめ)”なんですね~。
その後、暫くの間農業をやってましたが、そこで、具合の悪い豚の骨盤調整と、子牛の頸椎1番の調整をしましたが、プードルほど小さくないので、抑え込むのがやっとで、治療は上手く行きませんでした。

2009年3月27日